《吾輩は猫である》第63章


かせい)に馳(か)け上(あが)る。馳け上っておいて馳け下がる。馳け下がるには二法ある。一はさかさになって頭を地面へ向けて下りてくる。一は上(のぼ)ったままの姿勢をくずさずに尾を下にして降りる。人間に問うがどっちがむずかしいか知ってるか。人間のあさはかな了見(りょうけん)では、どうせ降りるのだから下向(したむき)に馳け下りる方が楽だと思うだろう。それが間摺盲皮搿>趣狭x経が鵯越(ひよどりごえ)を落(お)としたことだけを心得て、義経でさえ下を向いて下りるのだから猫なんぞは無論下(し)た向きでたくさんだと思うのだろう。そう軽蔑(けいべつ)するものではない。猫の爪はどっちへ向いて生(は)えていると思う。みんな後(うし)ろへ折れている。それだから鳶口(とびぐち)のように物をかけて引き寄せる事は出来るが、逆に押し出す力はない。今吾輩が松の木を勢よく馳け登ったとする。すると吾輩は元来地上の者であるから、自然の傾向から云えば吾輩が長く松樹の巓(いただき)に留(とど)まるを許さんに相摺胜ぁⅳ郡坤堡斜丐郝浃沥搿¥筏肥址扭筏锹浃沥皮稀ⅳⅳ蓼暝邕^ぎる。だから何等かの手段をもってこの自然の傾向を幾分かゆるめなければならん。これ即(すなわ)ち降りるのである。落ちるのと降りるのは大変な摺韦瑜Δ坤ⅳ饯螌g思ったほどの事ではない。落ちるのを遅くすると降りるので、降りるのを早くすると落ちる事になる。落ちると降りるのは、ちとりの差である。吾輩は松の木の上から落ちるのはいやだから、落ちるのを緩(ゆる)めて降りなければならない。即(すなわ)ちあるものをもって落ちる速度に抵抗しなければならん。吾輩の爪は前(ぜん)申す通り皆後(うし)ろ向きであるから、もし頭を上にして爪を立てればこの爪の力は悉(ことごと)く、落ちる勢に逆(さから)って利用出来る訳である。従って落ちるが変じて降りるになる。実に見易(みやす)き道理である。しかるにまた身を逆(さか)にして義経流に松の木越(ごえ)をやって見給え。爪はあっても役には立たん。ずるずる滑って、どこにも自分の体量を持ち答える事は出来なくなる。ここにおいてかせっかく降りようと企(くわだ)てた者が変化して落ちる事になる。この通り鵯越(ひよどりごえ)はむずかしい。猫のうちでこの芸が出来る者は恐らく吾輩のみであろう。それだから吾輩はこの邉婴虺皮筏扑苫辘仍皮Δ韦扦ⅳ搿W钺幛嗽玻à幛埃─辘摔膜い埔谎裕àい沥菠螅─工搿V魅摔瓮イ现裨颏猡盲扑慕扦摔筏椁欷皮い搿4獋龋àà螭铮─绕叫肖筏皮い胍黄àい盲冥螅─习司砰gもあろう。左右は双方共四間に過ぎん。今吾輩の云った垣巡りと云う邉婴悉长卧紊悉蚵浃沥胜い瑜Δ艘恢埭工毪韦扦ⅳ搿¥长欷悉浃険p(そこな)う事もままあるが、首尾よく行くとお慰(なぐさみ)になる。ことに所々に根を焼いた丸太が立っているから、ちょっと休息に便宜(べんぎ)がある。今日は出来がよかったので朝から昼までに三返(べん)やって見たが、やるたびにうまくなる。うまくなる度(たび)に面白くなる。とうとう四返繰り返したが、四返目に半分ほど巡(まわ)りかけたら、隣の屋根から烏が三羽飛んで来て、一間ばかり向うに列を正してとまった。これは推参な奴だ。人の邉婴畏粒à丹蓼郡玻─颏工搿ⅳ长趣摔嗓长螢酩坤à护─猡胜し衷冢à证螭钉ぃ─恰⑷摔螇Bへとまるという法があるもんかと思ったから、通るんだおい除(の)きたまえと声をかけた。真先の烏はこっちを見てにやにや笑っている。次のは主人の庭を眺(なが)めている。三羽目は嘴(くちばし)を垣根の竹で拭(ふ)いている。何か食って来たに摺胜ぁN彷叅戏荡黏虼膜郡幛恕⒈说趣巳珠gの猶予(ゆうよ)を与えて、垣の上に立っていた。烏は通称を勘左衛門と云うそうだが、なるほど勘左衛門だ。吾輩がいくら待ってても挨拶もしなければ、飛びもしない。吾輩は仕方がないから、そろそろ歩き出した。すると真先の勘左衛門がちょいと羽を広げた。やっと吾輩の威光に恐れて逃げるなと思ったら、右向から左向に姿勢をかえただけである。この野郎! 地面の上ならその分に捨ておくのではないが、いかんせん、たださえ骨の折れる道中に、勘左衛門などを相手にしている余裕がない。といってまた立留まって三羽が立ち退(の)くのを待つのもいやだ。第一そう待っていては足がつづかない。先方は羽根のある身分であるから、こんな所へはとまりつけている。従って気に入ればいつまでも逗留(とうりゅう)するだろう。こっちはこれで四返目だたださえ大分(だいぶ)労(つか)れている。いわんや綱渡りにも劣らざる芸当兼邉婴颏浃毪韦馈:蔚趣握虾ξ铯胜皮丹浃沥螭趣媳T^が出来んのに、こんな笆à恧筏绀Δ兢─⑷齻€も前途を遮(さえぎ)っては容易ならざる不都合だ。いよいよとなれば自(みずか)ら邉婴蛑兄工筏圃蛳陇辘毪瑜晔朔饯胜ぁC娴工坤椤ⅳい盲饯丹瑜κ摔恧Δ长洗髣荬问陇扦悉ⅳ毪贰ⅳ长趣摔悉ⅳ蓼辘长无xには見馴れぬ人体(にんてい)である。口嘴(くちばし)が乙(おつ)に尖(とん)がって何だか天狗(てんぐ)の啓(もう)し子(ご)のようだ。どうせ伲à郡粒─韦いづ扦胜い摔蠘O(きま)っている。退却が安全だろう、あまり深入りをして万一落ちでもしたらなおさら恥辱だ。と思っていると左向(ひだりむけ)をした烏が阿呆(あほう)と云った。次のも真似をして阿呆と云った。最後の奴は御鄭寧(ごていねい)にも阿呆阿呆と二声叫んだ。いかに温厚なる吾輩でもこれは看過(かんか)出来ない。第一自己の邸内で烏輩(からすはい)に侮辱されたとあっては、吾輩の名前にかかわる。名前はまだないから係わりようがなかろうと云うなら体面に係わる。決して退却は出来ない。諺(ことわざ)にも烏合(うごう)の肖仍皮Δ槿黏坤盲拼嫱馊酩い庵欷胜ぁ_Mめるだけ進めと度胸を据(す)えて、のそのそ歩き出す。烏は知らん顔をして何か御互に話をしている様子だ。いよいよ肝癪(かんしゃく)に障(さわ)る。垣根の幅がもう五六寸もあったらひどい目に合せてやるんだが、残念な事にはいくら怒(おこ)っても、のそのそとしかあるかれない。ようやくの事先鋒(せんぽう)を去る事約五六寸の距離まで来てもう一息だと思うと、勘左衛門は申し合せたように、いきなり羽搏(はばたき)をして一二尺飛び上がった。その風が突然余の顔を吹いた時、はっと思ったら、つい踏み外(は)ずして、すとんと落ちた。これはしくじったと垣根の下から見上げると、三羽共元の所にとまって上から嘴(くちばし)を揃(そろ)えて吾輩の顔を見下している。図太い奴だ。睨(にら)めつけてやったが一向(いっこう)利(き)かない。背を丸くして、少々唸(うな)ったが、ますます駄目だ。俗人に霊妙なる象徴詩がわからぬごとく、吾輩が彼等に向って示す怒りの記号も何等の反応を呈出しない。考えて見ると無理のないところだ。吾輩は今まで彼等を猫として取り扱っていた。それが悪るい。猫ならこのくらいやればたしかに応(こた)えるのだが生憎(あいにく)相手は烏だ。烏の勘公とあって見れば致し方がない。実業家が主人苦沙弥(くしゃみ)先生を圧倒しようとあせるごとく、西行(さいぎょう)に銀製の吾輩を進呈するがごとく、西郷隆盛君の銅像に勘公が糞(ふん)をひるようなものである。機を見るに敏なる吾輩はとうてい駄目と見て取ったから、奇麗さっぱりと椽側へ引き上げた。もう晩飯の時刻だ。邉婴猡いい趣蜻^ごすと行(い)かぬ者で、からだ全体が何となく緊(しま)りがない、ぐたぐたの感
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