《吾輩は猫である》第71章


いるようなものである。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君のごとき気摺韦ⅳ胧陇蛑盲恳陨悉下潆咅^の君子が風流漢ばかりでないと云う事がわかる訳(わけ)だ。それがわからんと主張するならまず三日ばかり主人のうちへ宿(とま)りに来て見るがいい。
前(ぜん)申すごとく、ここへ引き越しの当時は、例の空地(あきち)に垣がないので、落雲館の君子は車屋の韦搐趣ⅳ韦饯韦饯韧┊儯à辘肖郡保─诉@入(はい)り込んできて、話をする、弁当を食う、笹(ささ)の上に寝転(ねころ)ぶ――いろいろの事をやったものだ。それからは弁当の死骸即(すなわ)ち竹の皮、古新聞、あるいは古草履(ふるぞうり)、古下駄、ふると云う名のつくものを大概ここへ棄てたようだ。無頓着なる主人は存外平気に構えて、別段抗議も申し込まずに打ち過ぎたのは、知らなかったのか、知っても咎(とが)めんつもりであったのか分らない。ところが彼等諸君子は学校で教育を受くるに従って、だんだん君子らしくなったものと見えて、次第に北側から南側の方面へ向けて蚕食(さんしょく)を企だてて来た。蚕食と云う語が君子に不似合ならやめてもよろしい。但(ただ)しほかに言葉がないのである。彼等は水草(すいそう)を追うて居を変ずる沙漠(さばく)の住民のごとく、桐(きり)の木を去って檜(ひのき)の方に進んで来た。檜のある所は座敷の正面である。よほど大胆なる君子でなければこれほどの行動は取れんはずである。一両日の後(のち)彼等の大胆はさらに一層の大を加えて大々胆(だいだいたん)となった。教育の結果ほど恐しいものはない。彼等は単に座敷の正面に逼(せま)るのみならず、この正面において歌をうたいだした。何と云う歌か忘れてしまったが、決して三十一文字(みそひともじ)の類(たぐい)ではない、もっと活溌(かっぱつ)で、もっと俗耳(ぞくじ)に入り易(やす)い歌であった。驚ろいたのは主人ばかりではない、吾輩までも彼等君子の才芸に嘆服(たんぷく)して覚えず耳を傾けたくらいである。しかし読者もご案内であろうが、嘆服と云う事と邪魔と云う事は時として両立する場合がある。この両者がこの際図(はか)らずも合して一となったのは、今から考えて見ても返す返す残念である。主人も残念であったろうが、やむを得ず書斎から飛び出して行って、ここは君等の這入(はい)る所ではない、出給えと云って、二三度追い出したようだ。ところが教育のある君子の事だから、こんな事でおとなしく聞く訳がない。追い出されればすぐ這入る。這入れば活溌なる歌をうたう。高声(こうせい)に談話をする。しかも君子の談話だから一風(いっぷう)摺盲啤ⅳ幛à坤沃椁亭à韦仍皮Α¥饯螭恃匀~は御維新前(ごいっしんまえ)は折助(おりすけ)と雲助(くもすけ)と三助(さんすけ)の専門的知識に属していたそうだが、二十世紀になってから教育ある君子の学ぶ唯一の言語であるそうだ。一般から軽蔑(けいべつ)せられたる邉婴ⅳ韦搐趣袢眨à长螭摔粒Z迎せらるるようになったのと同一の現象だと説明した人がある。主人はまた書斎から飛び出してこの君子流の言葉にもっとも堪能(かんのう)なる一人を捉(つら)まえて、なぜここへ這入るかと詰問したら、君子はたちまち「おめえ、知らねえ」の上品な言葉を忘れて「ここは学校の植物園かと思いました」とすこぶる下品な言葉で答えた。主人は将来を戒(いまし)めて放してやった。放してやるのは亀の子のようでおかしいが、実際彼は君子の袖(そで)を捉(とら)えて談判したのである。このくらいやかましく云ったらもうよかろうと主人は思っていたそうだ。ところが実際は女 氏(じょかし)の時代から予期と摺Δ猡韦恰⒅魅摔悉蓼渴·筏俊=穸趣媳眰趣檑∧冥蚝岫悉筏票黹Tから抜ける、表門をがらりとあけるから御客かと思うと桐畠の方で笑う声がする。形勢はますます不穏である。教育の功果はいよいよ顕著になってくる。気の毒な主人はこいつは手に合わんと、それから書斎へ立て唬à长猓─盲啤⒐ВàΔ浃Δ洌─筏粫蚵潆咅^校長に奉って、少々御取締をと哀願した。校長も鄭重(ていちょう)なる返書を主人に送って、垣をするから待ってくれと云った。しばらくすると二三人の職人が来て半日ばかりの間に主人の屋敷と、落雲館の境に、高さ三尺ばかりの四つ目垣が出来上がった。これでようよう安心だと主人は喜こんだ。主人は愚物である。このくらいの事で君子の挙動の変化する訳がない。
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八 … 2

全体人にからかうのは面白いものである。吾輩のような猫ですら、時々は当家の令嬢にからかって撸Г证椁い坤椤⒙潆咅^の君子が、気の利(き)かない苦沙弥先生にからかうのは至極(しごく)もっともなところで、これに不平なのは恐らく、からかわれる当人だけであろう。からかうと云う心理を解剖して見ると二つの要素がある。第一からかわれる当人が平気ですましていてはならん。第二からかう者が勢力において人数において相手より強くなくてはいかん。この間主人が動物園から帰って来てしきりに感心して話した事がある。聞いて見ると駱駝(らくだ)と小犬の喧嘩を見たのだそうだ。小犬が駱駝の周囲を疾風のごとく廻転して吠(ほ)え立てると、駱駝は何の気もつかずに、依然として背中(せなか)へ瘤(こぶ)をこしらえて突っ立ったままであるそうだ。いくら吠えても狂っても相手にせんので、しまいには犬も愛想(あいそ)をつかしてやめる、実に駱駝は無神経だと笑っていたが、それがこの場合の適例である。いくらからかうものが上手でも相手が駱駝と来ては成立しない。さればと云って樱à筏罚─浠ⅲà趣椋─韦瑜Δ讼确饯瑥娺^ぎても者にならん。からかいかけるや否や八つ裂きにされてしまう。からかうと歯をむき出して怒(おこ)る、怒る事は怒るが、こっちをどうする事も出来ないと云う安心のある時に愉快は非常に多いものである。なぜこんな事が面白いと云うとその理由はいろいろある。まずひまつぶしに適している。退屈な時には髯(ひげ)の数さえ勘定して見たくなる者だ。昔(むか)し獄に投ぜられた囚人の一人は無聊(ぶりょう)のあまり、房(へや)の壁に三角形を重ねて画(か)いてその日をくらしたと云う話がある。世の中に退屈ほど我慢の出来にくいものはない、何か活気を刺激する事件がないと生きているのがつらいものだ。からかうと云うのもつまりこの刺激を作って撸Г忠环Nの娯楽である。但(ただ)し多少先方を怒らせるか、じらせるか、弱らせるかしなくては刺激にならんから、昔しからからかうと云う娯楽に耽(ふけ)るものは人の気を知らない馬鹿大名のような退屈の多い者、もしくは自分のなぐさみ以外は考うるに暇(いとま)なきほど頭の発達が幼稚で、しかも活気の使い道に窮する少年かに限っている。次には自己の優勢な事を実地に証明するものにはもっとも簡便な方法である。人を殺したり、人を傷(きずつ)けたり、または人を陥(おとしい)れたりしても自己の優勢な事は証明出来る訳であるが、これらはむしろ殺したり、傷けたり、陥れたりするのが目的のときによるべき手段で、自己の優勢なる事はこの手段を遂行(すいこう)した後(のち)に必然の結果として起る現象に過ぎん。だから一方には自分の勢力が示したくって、しかもそんなに人に害を与えたくないと云う場合には、からかうのが一番御恰好(おかっこう)である。多少人を傷けなければ自己のえらい事は事実の上に証拠だてられない。事実になって出て来ないと、頭のうちで安心していても存外快楽のうすいものである。人
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