《吾輩は猫である》第65章


るには御誂(おあつら)えの上等である。よろしいと云いながらひらりと身を躍(おど)らすといわゆる洗湯は鼻の先、眼の下、顔の前にぶらついている。天下に何が面白いと云って、未(いま)だ食わざるものを食い、未だ見ざるものを見るほどの愉快はない。諸君もうちの主人のごとく一週三度くらい、この洗湯界に三十分乃至(ないし)四十分を暮すならいいが、もし吾輩のごとく風呂と云うものを見た事がないなら、早く見るがいい。親の死目(しにめ)に逢(あ)わなくてもいいから、これだけは是非見物するがいい。世界広しといえどもこんな奇観(きかん)はまたとあるまい。
何が奇観だ? 何が奇観だって吾輩はこれを口にするを憚(はば)かるほどの奇観だ。この硝子窓(ガラスまど)の中にうじゃうじゃ、があがあ騒いでいる人間はことごとく裸体である。台湾の生蕃(せいばん)である。二十世紀のアダムである。そもそも衣装(いしょう)の歴史を繙(ひもと)けば――長い事だからこれはトイフェルスドレック君に譲って、繙くだけはやめてやるが、――人間は全く服装で持ってるのだ。十八世紀の頃大英国バスの温泉場においてボぅ圣氓筏瑓椫丐室巹tを制定した時などは浴場内で男女共肩から足まで着物でかくしたくらいである。今を去る事六十年前(ぜん)これも英国の去る都で図案学校を設立した事がある。図案学校の事であるから、裸体画、裸体像の模写、模型を買い込んで、ここ、かしこに陳列したのはよかったが、いざ開校式を挙行する一段になって当局者を初め学校の職員が大困却をした事がある。開校式をやるとすれば、市の淑女を招待しなければならん。ところが当時の貴婦人方の考によると人間は服装の動物である。皮を着た猿の子分ではないと思っていた。人間として着物をつけないのは象の鼻なきがごとく、学校の生徒なきがごとく、兵隊の勇気なきがごとく全くその本体を失(しっ)している。いやしくも本体を失している以上は人間としては通用しない、獣類である。仮令(たとい)模写模型にせよ獣類の人間と伍するのは貴女の品位を害する訳である。でありますから妾等(しょうら)は出席御断わり申すと云われた。そこで職員共は話せない連中だとは思ったが、何しろ女は枺鱽I国を通じて一種の装飾品である。米舂(こめつき)にもなれん志願兵にもなれないが、開校式には欠くべからざる化装道具(けしょうどうぐ)である。と云うところから仕方がない、呉服屋へ行って迹à恧踏危─蛉宸窗朔制撸à悉沥证螭韦筏粒┵Iって来て例の獣類の人間にことごとく着物をきせた。失礼があってはならんと念に念を入れて顔まで着物をきせた。かようにしてようやくの事滞(とどこお)りなく式をすましたと云う話がある。そのくらい衣服は人間にとって大切なものである。近頃は裸体画裸体画と云ってしきりに裸体を主張する先生もあるがあれはあやまっている。生れてから今日(こんにち)に至るまで一日も裸体になった事がない吾輩から見ると、どうしても間摺盲皮い搿B闾澶舷ED(ギリシャ)、羅馬(ロ蓿─芜z風が文芸復興時代の淫靡(いんび)の風(ふう)に誘われてから流行(はや)りだしたもので、希臘人や、羅馬人は平常(ふだん)から裸体を見做(みな)れていたのだから、これをもって風教上の利害の関係があるなどとは毫(ごう)も思い及ばなかったのだろうが北欧は寒い所だ。日本でさえ裸で道中がなるものかと云うくらいだから独逸(ドイツ)や英吉利(イギリス)で裸になっておれば死んでしまう。死んでしまってはつまらないから着物をきる。みんなが着物をきれば人間は服装の動物になる。一たび服装の動物となった後(のち)に、突然裸体動物に出逢えば人間とは認めない、獣(けだもの)と思う。それだから欧洲人ことに北方の欧洲人は裸体画、裸体像をもって獣として取り扱っていいのである。猫に劣る獣と認定していいのである。美しい? 美しくても構わんから、美しい獣と見做(みな)せばいいのである。こう云うと西洋婦人の礼服を見たかと云うものもあるかも知れないが、猫の事だから西洋婦人の礼服を拝見した事はない。聞くところによると彼等は胸をあらわし、肩をあらわし、腕をあらわしてこれを礼服と称しているそうだ。怪(け)しからん事だ。十四世紀頃までは彼等の出(い)で立(た)ちはしかく滑稽ではなかった、やはり普通の人間の着るものを着ておった。それがなぜこんな下等な軽術師(かるわざし)流に転化してきたかは面倒だから述べない。知る人ぞ知る、知らぬものは知らん顔をしておればよろしかろう。歴史はとにかく彼等はかかる異様な風態をして夜間だけは得々(とくとく)たるにも係わらず内心は少々人間らしいところもあると見えて、日が出ると、肩をすぼめる、胸をかくす、腕を包む、どこもかしこもことごとく見えなくしてしまうのみならず、足の爪一本でも人に見せるのを非常に恥辱と考えている。これで考えても彼等の礼服なるものは一種の頓珍漢的(とんちんかんてき)作用(さよう)によって、馬鹿と馬鹿の相談から成立したものだと云う事が分る。それが口惜(くや)しければ日中(にっちゅう)でも肩と胸と腕を出していて見るがいい。裸体信者だってその通りだ。それほど裸体がいいものなら娘を裸体にして、ついでに自分も裸になって上野公園を散歩でもするがいい、できない? 出来ないのではない、西洋人がやらないから、自分もやらないのだろう。現にこの不合理極まる礼服を着て威張って帝国ホテルなどへ出懸(でか)けるではないか。その因縁(いんねん)を尋ねると何にもない。ただ西洋人がきるから、着ると云うまでの事だろう。西洋人は強いから無理でも馬鹿気ていても真似なければやり切れないのだろう。長いものには捲(ま)かれろ、強いものには折れろ、重いものには圧(お)されろと、そうれろ尽しでは気が利(き)かんではないか。気が利(き)かんでも仕方がないと云うなら勘弁するから、あまり日本人をえらい者と思ってはいけない。学問といえどもその通りだがこれは服装に関係がない事だから以下略とする。
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七 … 4
衣服はかくのごとく人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かと云うくらい重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したいくらいだ。だから衣服を着けない人間を見ると人間らしい感じがしない。まるで化物(ばけもの)に邂逅(かいこう)したようだ。化物でも全体が申し合せて化物になれば、いわゆる化物は消えてなくなる訳だから構わんが、それでは人間自身が大(おおい)に困却する事になるばかりだ。その昔(むか)し自然は人間を平等なるものに製造して世の中に抛(ほう)り出した。だからどんな人間でも生れるときは必ず赤裸(あかはだか)である。もし人間の本性(ほんせい)が平等に安んずるものならば、よろしくこの赤裸のままで生長してしかるべきだろう。しかるに赤裸の一人が云うにはこう誰も彼も同じでは勉強する甲斐(かい)がない。骨を折った結果が見えぬ。どうかして、おれはおれだ誰が見てもおれだと云うところが目につくようにしたい。それについては何か人が見てあっと魂消(たまげ)る物をからだにつけて見たい。何か工夫はあるまいかと十年間考えてようやく猿股(さるまた)を発明してすぐさまこれを穿(は)いて、どうだ恐れ入ったろうと威張ってそこいらを歩いた。これが今日(こんにち)の車夫の先祖である。単簡(たんかん)なる猿股を発明するのに十年の長日月を費(つい)やしたのはいささか異(い)
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